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会津若松戊辰戦争前夜 ⑤

snow 立春を過ぎてもまだまだ強烈寒波が続いています。それでも日差しは日を追うごとに強くなって、光の春はもうすぐです…と、思いたいですねぇdespair

会津への旅二日目の夕方、お宿へ向かう前に立ち寄ったのは「会津武家屋敷」。会津藩家老・西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷を中心に会津の歴史的建造物が集まった屋外博物館です。

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菊の鉢で表門が飾られていました。
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久しぶりに立派な菊を見た気がします。
正面奥が「表玄関」で、お殿様や藩の重要人物をお迎えする玄関です。
各部屋は庭から見学することができます。

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部屋数は38もあって、お成りの間など客室は表側に、家族や使用人が住む部屋とは別格になっています。

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お殿様専用のトイレ(一番奥に見えてるのが便器です)畳敷きになってます。
お殿様の健康管理のため、用を済ますとチェックが入ります。

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砂を敷いた箱車。これを引き出してチェックされてるんですって。
使用したらその都度取り出して処理されます。

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こちらは浴室。
焚口はなく、台所で沸かした湯を桶で運んでいたそうです。
火の用心のためと書いてありますね。


沢山の部屋には当時の生活の様子がわかるような展示がしてあるのですが…

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「自刃の間」 普段家族が使用していた奥の間ですが…ここで一族21人が自決しました。

第二資料館では西郷頼母の妻・千恵子はじめ一族21人が自刃した模様が再現されています。
新政府軍が乗り込んできて、虫の息の16歳の娘を介錯する場面、悲しくて写真は撮れませんでした(/□≦、)
家老・西郷頼母は恭順派で藩主・松平容保に京都守護職を辞退するように進言したのですが退けられてしまいます。鶴ヶ城籠城戦になった時、頼母は会津を脱出、白川~函館へ向かいます。
主人不在の屋敷では足手まといにならぬためにと妻・千恵子他女子、幼児を含む一族21人が自刃して果てたのでした。

西郷頼母は函館・五稜郭で終戦を迎え,明治になってから数年後、志田家から四郎を養子として迎えます。
この人こそ小説「姿三四郎」のモデルで近代柔道の礎を築いた「西郷四郎」なのです。
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講道館時代に編み出した大技「山嵐」の像

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わずか五尺一寸(約153センチ)と小柄な方でした。
柔道着も展示されていましたがホントに小さめでした。

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資料館も広くて立派です。

裏門の近くに精米所がありました。
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水車が回っていますが、しぶきがかかるのでビニールで囲ってありました。
石臼は16個あり、一日で16俵のお米が精米できる、東北一の精米所だそうです。

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「旧中畑陣屋」福島県指定重要文化財
1837年に建てられた東北に残った最後の代官所です。

敷地の中にはまだまだ沢山の展示館や見どころがありましたが、日暮れも近いのでお宿へ向かいました。

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滝の近くの温泉宿。
廊下に「誠」の旗が…
説明書きを読むと、どうやら傷を負った土方歳三がこの温泉で傷を癒したとか…。

新選組と会津に思いをはせながらお料理を頂きました。
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野菜が美味しい~~
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お肉も美味しい~
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一番美味しかったのは、黒豆の入ったご飯でした。
お米が際立つ美味しさです。
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デザート2種も出てきた^^

お腹いっぱいでぐっすり眠れました。
多分3日目は雨のようです…       つづく~

点検おばさんは立春過ぎに梅まつりを点検してきましたが…
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数本しか咲いてなかった…やっぱり今年は寒いよね。

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カシミヤ入りの高価なセーターが全然似合わない(*´з`)こまち &洋子

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